オモシロい、斬新でユニークなお寺・お墓4選
仏事や弔いの場として捉えられるお寺やお墓。最近、いままでのイメージを一新するような、新たな価値を提供するお寺やお墓が増えています。本記事では、ユニークな発信を行うお寺・お墓の中から、4つの魅力的な取り組みをご紹介します。
納骨堂辞典 > 納骨堂コラム > 文化・歴史 > 檀家になるとは?現代でお寺の檀家になることのメリットとデメリット
檀家(だんか)とは、特定の寺院を援助する家のことを指します。檀家が支える寺院のことを菩提寺(ぼだいじ)や旦那寺(だんなでら)と呼びます。この寺檀関係は江戸幕府の政策によって始まり、菩提寺は檀家の先祖や死者の供養を独占的に取り仕切りましたが、現代では崩壊しつつあります。なぜ、寺と檀家の関係が崩れてしまったのか。ここでは檀家制度とはどんな仕組みなのか、その必要性などについて詳しく触れていきます。
「檀家」とは、特定の寺院を援助する家のことで、寺院はその家の先祖や死者の供養を取り仕切ります。つまり、「お寺の檀家になる」というのは、自分たちの家族、先祖などの供養をそのお寺にお任せするということです。そしてお寺は、檀家たちの「布施(ふせ)」によって生計が成り立っています。ここでいう「布施」とは、厳密には金銭だけを指すのではなく、寺院行事や法要の積極的な参加も含まれていると言えるでしょう。
多くの方は、お寺は住職のものだとお考えかと思います。しかし、そもそもお寺は住職のものではなく檀家のものともいえるのです。檀家が金銭などを出し合って共同運営するのがお寺であり、そこに供養の専門家としての僧侶を招いて住まわす、というのが本来の意味なのです。そのため現代でも「檀家が住職を住まわせているのだ」という意識の、檀家によって支えているお寺はたくさんあります。もちろん全国に8万もあると言われているお寺なので、パワーバランスはさまざまです。なかには住職の力が強いお寺もあれば、檀家の力が強いお寺もあります。
檀家制度とは、国が宗教を統一するための政策の一環として江戸時代より始まった寺請制度がきっかけとなっています。
江戸幕府は、キリスト教など仏教以外の宗教(当時は「邪宗門」とも総称されていたそうです)を弾圧するため、日本国民全員に自分がキリシタンではないことを証明することの文書の提出を義務付けました。その文証明文は寺によって作成されたものでないと認められず、「お寺のお墨付き」をもらうためにも民衆が檀家になったといわれています。この寺請制度によって寺の檀家が増え、檀家の先祖や死者の供養は菩提寺が独占的に取り仕切りようになり、これこそが、現代にまで続く檀家制度の原型となったといわれています。
檀家と菩提寺の関係は土地に根差します。その土地に代々眠る先祖たちの霊を、菩提寺は供養し、檀家たちは弔ったからです。
ところが戦後、交通の発達により地方部から都市部への人口移動が激減し、人々の死生観や宗教感も大きく変容していきました。
都市部に出てきた人やその2世ともなると、郷里のお寺との付き合いも希薄になり、代々続いてきた檀家と菩提寺の関係は疎遠になっていきます。
葬儀を執り行う際に葬儀社が故人を供養するためのお寺を手配する、という現象は昨今では一般化しつつあります。その背景には、お寺の力が弱くなった、人々が宗教を必要としなくなった、といった理由だけではなく、檀家制度で成り立っていた寺院そのものが、戦後社会の現代にそぐわなくなってきたところにもあるでしょう。
ひと昔前のお寺は、檀家の先祖や死者の供養の取り仕切りだけではなく、地域社会の中心でもありました。例えば、お寺で行われる法要や行事、彼岸や施餓鬼(せがき)などの法要の際には、必ず檀家が集まってそれらを取り仕切り、支えていました。先述した通り、お寺は住職のものではなく檀家のものですから、必然的に地域社会の中心にお寺があったわけです。
現代のように、「葬儀や法事の時だけのお寺」ではなく、日常生活の中でもきちんとお寺はその役割を担っていたのです。
しかし、個人の「生き方の多様化」と言われて久しいのですが、その反面、地域社会のつながりの必要性も叫ばれている現代において、お寺の檀家になることには目に見えないメリットもあると思われます。また、お寺とつながりをもつというのは、死者供養の専門家とつながっておくということになります。なにかあればお寺に相談すればよく、それは一定の安心感を私たちに与えてくれます。
MBAを取得した僧侶として有名な松本紹圭氏は「お寺の役割は定点観測にある」と述べています。祖父母、父母、自分、子、孫と続いていく命の縦の連続性を保障してくれるのがお寺でした。そんな檀家を何十件、何百件と抱えるわけですから、お寺はその地域社会の生き字引的な存在足りえます。たしかに現代は、生まれ育った場所で生き、死んでいくことの方が稀な時代かもしれません。
しかし、命の縦の連続性を断たれることが人々にとっていかに窮屈かを経験している人はたくさんいるのではないでしょうか。
また、地域や親戚といった横のつながりが希薄な社会がいかに殺伐としているか。かつてお寺は、悩みを打ち明ける場所、人々が集まっては一緒に各戸の先祖を供養する場所でした。つまり、この世界を幸せに生きていくための縦軸(先祖と子孫とのつながり)と横軸(親戚や地域社会とのつながり)の交差点にこそ、お寺があったと言えるのではないでしょうか。
しかし、檀家になるとお金がかかる。とは、よく言われたものです。葬儀の時には何十万円、法事の時には何万円、大きな法要や寺院の修繕の時には大規模な寄進を求められていたことも事実です。また、現代人の生活のなかで、お寺の行事や法要への参列を求められることも、煩わしいと感じる方が多いのも事実でしょう。
これらはの原因の一つには、お寺が江戸時代から続く檀家制度に甘えてしまっているために起きている現象と考えられます。時代の変化、檀家の心情や経済的事情を気にも留めず、従来の慣例通りに寺院運営をし続けているために、世間の信頼を得られず「金だけかかる」と言われてしまっているのでしょう。現代人に限らず、人々はどんな時代でも、精神性の平安や死後の安心を求めています。お寺が檀家制度という古い慣習の力に頼らずに、「人」として檀家1件1件、あるいは信徒や信者一人一人の悩みや不安に向き合うことが、お寺の復権には不可欠だと思われます。
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